十二時きっかりに、みんなはそれぞれの仕事の手をとめて、弁当の箱を開いたり、近くのサラリーマン相手の食堂に行くために、席を立っていったりした。小野寺孝蔵はここ一週間ばかり食欲がなかったので、会社での昼食は鍋なべ焼やきうどんと決めて、如月きさらぎ亭ていといううどん屋から出前を取っていた。十一時半に如月亭に電話をかけるとき、同じ企画制作部の連中に、
「誰だれかついでに何か註ちゅう文もんしてくれへんかァ。ひとつだけやったら、いちばんあとまわしにされて、一時過ぎに持って来たりしよるんや」
と頼んでみる。たいていひとりかふたり、それなら俺おれもと言って、天てん丼どんや肉丼を註文してくれる。品数がある程度まとまっていると、こちらの要求どおり、ほぼ十二時に持ってくるが、ときに電話のあと十分ほどしかたっていないのに「まいど!」と大声で岡持ちを下げて入ってくる場合があり、そんなときは、さめてしまうのを覚悟で、十二時になるまで待っていなければならない。三ヵ月前に人事異動があり、企画制作部の部長が荒木という男に変わって、それ以来何やかやとしめつけがきつくなった。小野寺の勤める広告代理店は、大阪では中堅クラスとみなされていたが、実際は三流どころといった程度で、制作部という、会社組織とあまりうまくやり合っていけない連中たち、デザイナーやイラストレーター、カメラマン、それにコピーライターといった若い社員に対する考え方が、他の大手の代理店に比べてかなり異なっていて、どうしても会社の決めた規準に無理にも合わせようとするところがあった。それでも、前の制作部長は、そのへんのところを割合心得ていて、少々遅刻しようが、昼食に出たまま三時頃ごろまで帰社しなくとも、知らんふりをしていてくれた。仕事さえちゃんとこなしていれば、それでいい、デザイナーとかコピーライターなんて連中は、適当に自由に泳がしておいたほうが、いい仕事をするものだという考えの持主だったからである。ところが荒木という男に変わってから、たとえ一分の遅刻でも厳しく理由を問われる。セーター姿で出勤すると、背広にネクタイを着用するよう注意される。それもまるでそうすることが自分の仕事みたいな執しつ拗ようさで、いつまでも小言をやめないので、社内では天下御免のようにふるまっていた制作部員たちも、いまではいつのまにか、上うわ辺べだけはすっかりサラリーマン化してしまい、十二時になるまでは決して席を立たず、一時には必ず制作室に帰ってくるようになったのだった。
小野寺は机の上にもう三十分近く置かれたままになって、冷たくなりかけている鍋焼きうどんをすすった。天丼を食べていたカラスが、同じデザイナーの美津子と、学生時代にどんなアルバイトを経験したかという話を始めた。カラスの本名は赤木純一というのだが、まるでカラスの濡ぬれ羽色とでも言えるような艶つやのある漆黒の髪を長く肩までたらしていた。そのうえ、着る物はどれも黒一色で、背広もカッターシャツもネクタイもセーターも、夏といわず冬といわず黒でまとめていたから、みんなは本名で呼ばずにカラスと呼んでいた。カラスは縁なしの度の強い眼鏡をかけていた。頭の回転が早く、ちょっとした冗談に独特の深みがあった。だが性格面に、ちょっと病的と言えるほどのルーズな面があり、とりわけ金銭上のことで、デザイナー仲間とのトラブルが絶えなかった。金銭面で迷惑をこうむったことのある人間は、カラスのことをひどく罵ば倒とうして、小野寺に向かって、あいつとは絶対に深いつき合いをしないようにと忠告してくれるのだが、小野寺はカラスが好きだった。わざと愚かさを装ったり、剽ひょう軽きんぶったりしていたが、そのじつ、思いも寄らない繊細さと利発さを発揮して、コピーライターである小野寺の仕事のいい相棒役を果たしてくれるからだった。カラスと美津子との話が面おも白しろそうだったので、小野寺は鍋焼きうどんをすすりながら、ふたりの傍そばに行って椅い子すに腰かけた。カラスは、高校生のときの夏休みに三日で音ねをあげてやめてしまったという雨漏り防止設備の会社でのアルバイトが、生しょう涯がい忘れられないほど辛つらいものであったことを、彼一流の剽軽さとおかしさを交じえながら喋しゃべった。
「ビルの屋上にコンクリートを敷く前に、雨漏り防止のためのコールタールを塗り重ねるんや。石油缶かんの中に煮えたぎったコールタールが溢あふれるほど入れてあるんや。それをふたつ天てん秤びん棒ぼうに下げて運ぶ仕事やがな。ちょっとでもコールタールが体にかかったら大やけどするよってに、足には太ふと股ももまである厚いゴムの長なが靴ぐつを履いてるんや。そのうえ両手には肩まである長いゴム手袋をはめてる。真夏の炎天下に、高層ビルの屋上で煮えたぎってるコールタールをかついでそのうえそんな格好で歩いてみィ。もう十分もしたら目が廻まわってくるでェ。ひっくり返して、親方に天秤棒で何回どつかれたか判らへん。十日間の契約やけど、三日で逃げだした。あれは地獄の三日間やったなァ」
カラスは、小野寺にも何か思い出に残るアルバイトの経験はないかと訊きいた。制作室には、カラスと美津子と小野寺の三人きりだった。いつもは、社員たちがきっかり一時間で食事から帰って来るかどうかをデスクに坐すわって見張っている部長の荒木の姿もなかった。何色もの色エンピツやカッターナイフ、版はん下したを張るための接着材の缶が、机の上に並んで、さっきまでカメラマンがいかにも仕事みたいなふりをして眺ながめていた何百枚ものポジフィルムが、てんでんばらばらに散らばっていた。
高校生のときも、大学生のときも、数え切れないくらいアルバイトをやったと小野寺が答えると、カラスも美津子も、その中でいちばん思い出に残っていることを話せとせっついた。小野寺は鍋焼きうどんを食べ終えて時計を見た。一時まであと四十分あった。四十分で話し終えることは出来そうにないからと断わったが、ふたりはいやに小野寺の話を聞きたがって承知しなかった。小野寺は煙草たばこに火をつけて、煙を胸の奥深くに吸い込んだ。すると、ふいにあの最後の朝のぎらつく太陽が心の中いっぱいに膨れてきて、なぜか話さずにはいられない気持になってしまったのである。それで彼は手短かに終えるつもりで語り始めたのだが、脳裏に映し出されてくるさまざまな映像に精神が没入して行くに従って、自分でも異様に感じるほどの興奮にかられていった。彼は、自分らしくない笑みを作って話しつづけた。
ぼくが大学の三年生のときに父が死んだ。商売に失敗して多くの借財をかかえたうえでの父の死だったから、ぼくと母は借金取りから逃れて、大阪のはずれの小さな町のアパートに、六畳一間を借りてそこに夜逃げ同然の格好で引っ越した。母は新聞広告で、大阪市内のあるビジネスホテルの社員食堂に勤め口を捜し、そこで働くことになった。ぼくは父が死んだとき大学を辞める決心をしたのだが、あと二年なら、何とかアルバイトをしながら卒業出来るかも知れないと思い直し、ある夏の昼下り、天てん満まの扇町公園の傍にある「学生相談所」に行った。そこは言わば学生専用の職業安定所と呼べるところで、アルバイト口を求める学生でごったがえしているが、必ず何かの仕事にありつけるからと友人に教えられたからだ。
少々きつい仕事でも賃金の多いのにありつきたかったので、ぼくは掲示板に張り出されている紙の端に示された日給の額ばかり見つめて、同じ年頃の若者たちと押し合いへしあいしながら、掲示板の前を右に行ったり左に行ったりしていた。六十五番と番号のうたれている紙に、日当三千五百円(交通費は別に支給)と書かれてあった。当時、学生のアルバイトで日給が二千五百円を越えるものなどなかったので、ぼくはこれだと思いながら、六十五番の紙に見入った。職種は道路工事のための交通整理要員で、勤務時間は夜の八時から翌朝六時までだった。ただし期間は十日間で、ぼくが望んでいた三ヵ月か半年間ぐらいの長期にわたるアルバイト口ではなかった。しかし、十日で三万五千円になる。その仕事を終えたら、また新しいアルバイト先を見つければいい、ぼくはそう考えて事務員のところに行き、六十五番の仕事を希望する由よしを伝えた。定員は五人で、すでに四人が決まっていて、ぼくが最後の希望者だった。書類に名前と住所、所属する大学名を書かされると、こんどは現場の住所と簡単な地図、それに現場の担当責任者の名前が書かれた紙きれをくれた。現場は伊い丹たみの飛行場の近くで、伊丹市昆こ陽や、国道百七十一号線と宝たから塚づかへ行く国道とが交差するところだった。
梅田の地下街でラーメンとシューマイと御飯を食べた。とにかく徹夜仕事になるのだから、しっかり食べておかなければと思ったのだった。阪急の神戸線で塚口まで行き、そこで伊丹線に乗り換えた。伊丹駅からはバスだった。地図に書かれているとおりに、ぼくは指定されたバスに乗って現場に向かった。バス停を降りて、神戸の方向に向かって歩いて行くと大きな交差点が見えて来た。工事中であることを示す無数の赤いランプが点滅して、ブルドーザーが二台動いていた。ぼくはブルドーザーの運転手に担当責任者である伊藤という人はどこにいるかと訊いた。
「飯場におったでェ」
それから、上半身裸の運転手は汚れたタオルで鉢はち巻まきをして、ブルドーザーをぼくの立っているほうに旋回させながら、
「こら! どきさらせ。ぼやーっとしとったらひき殺すぞォ」
と怒鳴った。ぼくがびっくりしてうしろに跳びのくと、うしろから別のブルドーザーが迫って来て、かつてあびせられたことのない乱暴な言葉でまた怒鳴られた。まだ八時にはなっていなかったが、すでに作業は始まっていたのだった。ヘルメットをかぶった労務者たちがツルハシとスコップを持って、ブルドーザーのこぼして行ったアスファルトの破片を集めている。現場を照らす大きなサーチライトが、労務者たちの垢あかと埃ほこりにまみれた顔やシャツを照らしていた。
交差点から少し離れた坂の上にプレハブ造りの飯場がふたつ建っていた。手前の横長の建物は文字通りの飯場で、炊事場と食堂、それに作業員たちの寝場所にあてられていた。食堂の横に畳が敷かれ、何枚もの蒲ふ団とんが敷かれたままになっている。炊事場で何か仕事をしているらしい三十前後の太った女の姿が見えたので、ぼくは伊藤さんはどこにいるのかと訊いた。
「隣の事務所や。あんた、アルバイトの子ォか?」
女は荒っぽい口調で言った。ぼくがそうだと答えると、
「めしは食うて来たんか。まだやったら、おにぎりが山程あるさかい、思いっきり食べときや」
と言って、女はプラスチックの大きな箱にぎっしりと詰まっているソフトボールほどあるかと思えるようなおにぎりを指差した。ぼくは食事は済まして来たと言って、隣の事務所の急な階段を駈かけ昇った。現場主任と書かれた腕章をつけている髭ひげもじゃの男が、電話口で何やら怒鳴っていた。その奥に、ぼくと同じアルバイトのために雇われてきた学生四人が、それぞれ何やら心細そうな表情で立っていた。ぼくは学生相談所で貰もらった書類を作業服を着た若い男に渡した。その男が伊藤だったらしく、
「おーい、これで五人揃そろたでェ」
と髭もじゃの男に叫んだ。髭もじゃの現場主任は背は低かったが、九十キロはあるかと思えるほどの体たい躯くで、電話を切ると大きな図面を片手にぼくたちの傍にやって来た。
「交差点のど真ん中のアスファルトを補修する工事や。そやから交差点を中心に東西と南北に走って来る車をせきとめる仕事をしてもらう。信号は警察のほうで停とめてくれてるから、要するにお前らが信号機になるんや。交差点は朝までずっと片側通行や。そやから、東西に行く車も、南北に行く車も、必ずどっちかを停めて、そのうえ片側通行をさせんとあかんのや」
現場主任は二に重じゅう顎あごに汗をしたたらせて、意外に穏やかな口調で仕事の内容を説明してくれた。なんと恐しい顔をした男だろうと思っていたので、ぼくは少し安心して他ほかの四人の名前も知らない学生たちの顔を見た。みな緊張した面持で、現場主任の示す地図に見入っていた。
「ちょっとでもタイミングが狂うたら、大停滞を起こして、収拾がつかんようになるぞォ」
主任はそう言って、黒板に現場の地図を書き、お前はここ、お前はあそこと、それぞれの持ち場を決めてから、交通整理のやり方を教えてくれた。まず東西南北どの方向に走って行く車も停める。次に東行きの車をさばく。その際は、持ち場にいる者は車を行かせてもいいかという合図を全員に示さなければならない。その合図は両方の手に持った赤いフードのついた懐中電灯を大きくぐるぐると廻すこと。了解の合図は片方の懐中電灯をこんどは左右に大きく振る。それを確認するまでは、絶対に車を動かしてはいけない。東行きの車をある程度さばいたら、今度は西行きを通させる。要領は同じことだ。東西の車が済んだら、次は南北に走って行く車の処理をする。主任は何度も何度も合図のやり方を教え、ぼくたちにひとりひとり復唱させた。
「それからいちばん大事なのは、この交差点の真ん中に立つやつや」
それはぼくだった。主任はぼくに言った。
「交差点はブルドーザーが動き廻ってるし、何台も何台もダンプが出入りするから、慎重に車を誘導するんやぞォ。きょうは交差点西側の南半分のアスファルトを張り換えるから、東西へ行く車は全部交差点の北側を通させるんや。南北に行く車もおんなじ要領や。へたな誘導をしたら、車が出入りするダンプとぶつかるし……」
そこまで言ってから、しばらく黙っていたが、やがていやに真剣な顔つきでつけ足した。
「それどころか、お前もダンプかブルドーザーの下敷きになってしまうんや」
「ぼく、十日間、ずっと交差点に立つんですか?」
ぼくは恐る恐る訊いてみた。主任はしばらく考えていたが、その場所がいちばん危険で疲れるところである点を考えたらしく、
「持ち場は毎日交代することにしょうやないか。とにかく、今晩ひと晩でコツを覚えるやろから、あしたからはらくになるやろ。そやけど、交差点の真ん中に立つやつは、絶対に気を抜くなよ。それで死ぬか大おお怪け我がしたやつが、これまでにも二、三人おるんやから」
ぼくは、もうこんな危険なアルバイトはやめようと思った。それで、そのことを言おうとしたとき、作業員が駈けあがって来て、
「主任、始めまっせェ!」
と言った。ぼくたちは用意された懐中電灯を持ち、ヘルメットをかぶって現場まで走らされた。主任と伊藤はぼくたちに大声で持ち場につくよう命じると、信号機を切るためにやって来た警官に手を振った。もう逃げ出すことは出来なかった。信号機は切られ、東西と南北からやって来る車がアルバイト学生の指示で停止した。その途端、ダンプの荷台がせりあがり、巨大な量の熱いアスファルトがぼくのすぐ傍に積みあげられた。
「こらァ! 死にたいのかァ」
主任がぼくを見て大声を張りあげた。ぼくは安全なところを捜して走った。東行きの車が通過し始めていたので、ぼくはブルドーザーやダンプや煮えたったアスファルトの山を避けながら両手に持った赤い光の誘導灯を必死に振って、次々と通過する車を東の方向におくった。合図が変わり、西行きの車が動き出し、それが済むと北行き、次いで南行きと、停めてある車の長い列はアルバイト学生の振り廻す誘導灯によって、とどまることなく流れ始めたのだった。ぼくはブルドーザーを避け、巨大なダンプの荒っぽい運転から逃れながら、あっちへ走り、こっちに走りしながら、延々とつづく車に通るべき道を示すために懐中電灯を振りつづけた。アスファルトの匂においと、通過する無数の車の排気ガスで、一時間もたたないうちに喉のどが痛くなった。ここで十日間働いたら、ぼくは死ぬかも知れないと本気で思った。ヘルメットの下からは、とめどなく汗が流れ落ちて来て、それが目に入った。何度も手の甲でぬぐったが、汗の量は時間とともにいっそう多くなり、ぼくはヘルメットをぬぐと道端に放ほうり投げた。すると伊藤が血相を変えて走って来て、
「ヘルメットをかぶっとかんと、頭に大怪我するぞォ。砕いた古いアスファルトをダンプが山盛りにして持って帰りよるんや。それが落ちて来て、頭に当たったら、いちころやないか」
と言った。ぼくは慌あわててヘルメットを拾い、しっかりとかぶり直すと、タオルを事務所に忘れて来たので取って来てもいいかと訊いた。ぼくの汗を見て、伊藤は舌打ちをしながら、許可を与えてくれた。その間、車の誘導は、伊藤が代わってくれることになった。ぼくは飯場に走って行くと、さっきの女に水をくれと頼んだ。
「水よりも、そこに冷たい麦茶があるでェ」
女はそう言って縁の欠けた湯ゆ呑のみ茶ぢゃ碗わんを差し出し、大きなやかんの中の麦茶をついでくれた。ぼくは麦茶を三杯たてつづけに飲むと、事務所に行って自分のタオルを持ち、再び飯場に戻もどった。汗を拭ふきながら、また麦茶を三杯飲んだ。
「あんたも、麦茶いれたろかァ?」
誰だれもいないと思っていた蒲団の敷きっ放しにしてある細長い畳敷きの部屋に向かって、女がそう言ったので、ぼくはタオルで汗を拭きながら、電灯の消えた飯場の奥の部屋に目をやった。部屋の隅すみの蒲団の上に誰かが横たわっていた。返事はなかったが、寝返りを打って、かすかな呻うめき声をたてた。
「この麦茶、あの人に持ってったってんか」
女に言われて、ぼくは靴くつを脱ぐと、コップを持ち、部屋の隅まで行った。痩やせた中年の男が蒲団の上に寝転んでいた。ぼくが枕まくら元もとにコップを置くと、目をあけてしばらくぼくを見ていたが、何も言わずすぐに目を閉じてしまい、麦茶にも口をつけようとしなかった。ぼくがその場から離れて行こうとしたとき、男が何か言った。
「えっ? なに?」
ぼくが立ったまま訊き返すと、男は濁った声で、
「トマトが欲しいんじゃが……」
と言った。
「トマト……?」
ぼくは炊事場の女に、男の言葉を伝えた。
「トマトみたいなもん、いまここにあるかいな。あした買こうてきたるわ」
女は大声でくらがりの奥の男に言った。ぼくはタオルを尻しりのポケットにねじ込むと、大急ぎで自分の持ち場へ帰って行った。
車の停滞は十二時が過ぎる頃ころになって、やっと減っていき、その頃になると学生たちもかなり要領が判わかって来て、お前がこさせてもいいという合図を出したから車を発進させたのだ、いや俺おれはまだこいという合図は送っていない、などといったトラブルも殆ほとんど起こらなくなっていた。夜中の三時を過ぎると少し涼しさも加わり、ぼくたちの誘導を待って停まっている車も、東西、南北ともに七、八台程度になった。だが、あいかわらずダンプは何台も入れ替り立ち替り、猛スピードでやって来ては、再び猛スピードで去って行き、古いアスファルトを掘り起こす大型機械と、それら瓦が礫れきを掬すくい集めているブルドーザーが、煌こう々こうたるサーチライトの下で動き廻っていた。他の四人は、車を停めているあいだ、道端に坐すわって休憩することが出来たが、交差点の真ん中にいるぼくだけは、ただの一瞬たりとも気をゆるめることは出来なかった。足は棒のようになり、土踏まずのところが熱がたまったみたいに疼うずき始めた。主任が、飯場の前の坂道から大声でぼくを呼んでいた。削岩機とブルドーザーの音で、何を言っているのかまったく聞こえなかった。すると別の作業員がやって来て、主任が呼んでいる。俺が代わってやるから行ってこいと耳元で怒鳴った。ぼくが主任のところに行くと、主任は身振りで飯場の中に入るよう促し、椅い子すを指差して、
「まあ、坐れや。他の持ち場の連中は適当に休めるけど、お前は朝まで立ちっぱなしや。しばらく、ここで休んでいき」
そして胸ポケットから煙草たばこを出して、
「吸うか?」
と言った。ぼくは主任の煙草を貰って、火をつけた。
「きつい仕事やけど、途中で辞めんと、最後の工事が終わる日まで来てくれたら、ちょっと多いめに金を払うからな」
主任は自分も煙草を吸いながら、冷たい麦茶を飲んでいた。ぼくは飯場の奥を窺うかがって、
「あの人、病気ですか?」
と訊きいた。
「おととい、どこかの手配師がつれて来よったときは元気やったんやけど、きのうの夕方道の真ん中で倒れよったんや。医者を呼ぼうと思たら、目を醒さまして、一日か二日、休んだらまた働けるから言うて、あないやって寝とるんや。まあ、働かん日は日当を払わへんから、別にかめへんけど、病気なら医者に診せんとなァ」
しかし、主任の話だと日雇い労務者として雇われてきた者を会社の金で治療してやることは出来ないのだということだった。どこの会社や組織にも属していないから、労災も適用されない。まして本名も名乗らず、出身地も年齢も明かさない者が多いから、なおさら面倒が見かねるとのことだった。主任は時計を見て、あと十五分たったら持ち場に戻るようにと言って現場に帰って行った。大きな蠅はえが何匹もうるさくぼくにまとわりついた。プレハブ造りの飯場の中は、食べ物の臭気と昼間の熱気の余韻で、むせかえるようだった。ぼくはコップに麦茶を入れると、男の傍そばに行った。こんどは足音に気づいて、男は目を見開いてぼくの近づいてくるのをずっと見つめつづけていた。
「麦茶、飲みませんか? この部屋におったら喉が乾くでしょう」
男は寝たまま、首を動かして、小声で礼を言ったが、麦茶を飲もうとはしなかった。
「お医者さんに診てもろたらどうですか」
ぼくの言葉に、男は笑顔で応じたが、何も言わず目を閉じてしまった。暗くて顔もはっきり見えなかったが、ぼくは男がかなりの重病なのではないかと思った。父が死ぬ五日ぐらい前にも、ぼくはもうあと五日か六日程度しかもたないだろうと理由もなく予感したのだが、蒲団に横たわっている男の体の薄さに、死期の迫っている病人特有の翳かげりがあった。
「トマトが欲しいんじゃけど、買こうて来てくれんでしょうか」
男は目を閉じたままそう言った。九州の人だなとぼくは思った。大学の友人に九州から来ている者がいて、言葉の訛なまりがよく似ていたからだ。
「炊事の女の人が、あした買こうて来てやるて言うてましたよ」
「あの人は言うだけです。きのうも頼んだんじゃけど、忘れた言うて買こうて来てくれませんでした」
「そしたら、あした、ぼくが買こうて来てあげます」
ぼくはそう約束して現場に戻った。それから六時まではあっという間だった。五時前には空が明るくなり、六時になるともう朝日が当たって暑いくらいだった。六時きっかりに仕事は終わり、信号機が作動を始め、ぼくたちは、疲れきった体をひきずって飯場に戻って行った。戻って行く道すがら、ぼくたちアルバイト学生は初めて言葉を交わした。
「これから九日間、地獄やなァ」
大西と名乗った学生が誰に言うともなくつぶやいた。
「交差点の真ん中に立つやつは、地獄の三丁目ぐらいのとこにいてるようなもんやでェ」
とぼくが言うと、今夜その役にまわされる中谷という小こ柄がらな学生が、
「小野寺の走り廻まわってる格好を見てるだけで、背筋が冷とうなったでェ。お前、自分でも気がついてなかったやろけど、もう何遍も、ダンプのうしろに当たりそうになってたでェ」
と言った。工事は十日間だったから、もう一回ぼくにもその役が廻ってくるのだった。
飯場の食堂には何十人分もの朝食が用意されていた。徹夜明けの体には食欲がなく、ぼくは豆腐とジャガイモの入った味み噌そ汁しるを飲み、御飯に玉子をかけて無理矢理かき込むと、飯場の前に作られた洗い場に行って、顔を洗った。すると若い日雇い労務者らしい男が、手作りのシャワーがあることを教えてくれた。何かのバラックの裏にブリキで囲いがしてあり、中にホースが一本垂れ下がっている。ぼくは服を脱ぎ、全裸になると、水道の栓せんをひねった。ホースから落ちてくる水で全身の汗を落としたが、下着もズボンもシャツも埃ほこりと汗を吸い込んでいて、それを着るとかえって水をあびる前より体がねちゃねちゃするような感触に包まれた。労務者は朝食を済ませると、クーラーも扇風機もない飯場の奥の部屋で夕方近くまで泥どろのように眠るだけだった。
ぼくたちはバスに乗って阪急の伊丹駅まで行った。そこから家に帰るには、まだ二時間近くかかりそうだった。いっそ駅のベンチで夕方まで眠っていようかと思うくらい、ぼくは疲れきっていた。みんなと梅田の駅で別れると、ぼくは重い体をひきずって国鉄の環状線に乗り、京橋駅で降りてまたそこから片町線に乗り換えた。古びた車しゃ輛りょうの、汚れたシートに倒れ込むと、眠ってしまわないよう、わざと車窓から眩まぶしい空ばかり見つめた。ぼくの降りる駅までは三十分ぐらいだったが、降りてからアパートまでの道が長く、ぼくが帰り着いたのは十時前だった。部屋に入ると、丸い小さな膳ぜんの上に紙きれが置いてあり、母の伝言がエンピツで走り書きされていた。必ず、家に帰って睡眠をとるように、必ずちゃんと夕食を食べてから仕事先に向かうようにといった意味のことが書いてあった。ぼくは窓をあけ、パジャマに着換え、扇風機をかけっぱなしにして蒲ふ団とんに倒れ込み、そのまま眠った。目を醒さましたのは夕方の五時だった。疲れの取れ切っていない、重くだるい体を濡ぬれタオルで拭いてから、ぼくは服に着換えてアパートを出た。きのうと同じ梅田の地下街の中華料理屋で、きのうとまったく同じものを食べて、阪急電車に乗った。
伊丹駅の近くで、男に頼まれたトマトを五つ買った。ぼくは現場に着くと、すぐに飯場の奥で寝ている男のところに行った。ぼくはトマトを男の枕辺に置いて声をかけようとしたが、男は眠っているらしく静かな寝息が聞こえた。
その夜の仕事は、きのうと比べると何倍もらくだった。ぼくは大きな十字路を東西南北に伸びる国道の北側に立ち、車をさばいた。他の学生たちもすっかり慣れて、トラブルは殆ど起きなかった。慣れてくると、ぼくたちアルバイト学生のあいだには、ある連帯感のようなものが生まれて来て、交差点の真ん中がその夜の持ち場になった者を、一時間に一回休ませることにし、それぞれが順番を決めて交代してやり、休憩をとらせてやるといった配慮をするようになった。誰かがそっと飯場に忍び込み、うたたねをしている炊事婦の目を盗んで、おにぎりをそれぞれに配給したり、内緒で冷たい缶かんジュースを買って来て配り合ったりした。そうやって何日かが過ぎた。
道路の大がかりな補修工事も、いよいよあと二日で終わるという日のことだった。いつものとおり、飯場で麦茶を飲んでいると、それまでずっと寝たきりだった男が、よろよろと起きあがって来て、ぼくを呼んだ。何かにつかまっていないと立っていられないように見えたので、ぼくは男の腕を支えて元の蒲団にまでつれて行き、そっと寝かせてあげた。男は枕の下から一通の封筒に入った手紙を出し、あした仕事が済んだら、すまないがどこかのポストに入れてくれないかと言った。なんだそんなことかと思い、ぼくは間違いなくポストに投とう函かんすることを約束して、手紙をズボンの尻ポケットに入れた。ふと枕元を見ると、トマトが五つ、袋の中に入ったままになっている。ぼくが買って来てからもう六日もたっているというのに、トマトの数は減っていないのである。不審に思って、ぼくは男に訊いた。
「トマト、食べへんかったんか?」
男は力弱く頷うなずいて、薄く笑いを浮かべ、袋の中からトマトを一個取り出して胸の上に大事そうに置くと、両手で撫なでたりさすったりした。
「いつまでも置いといたら腐ってしまうでェ」
トマトは買ったときに比べると、青い部分が取れ、熟れて崩れかけていた。男は無言でトマトを胸に抱いたまま、必ず忘れずに手紙を出しておいてくれるようにと念を押した。ぼくは約束して立ちあがり、歩いて行きながら何気なく男のほうを振り返った。男の目がぼっと光っていた。男は目にいっぱい涙をためて、トマトを両手に包み込み、それを強く抱きしめているのだった。ぼくは、男が食べるためにトマトを買ったのではないのだと気づいたが、それならばいったい何のために、あれほどトマトを欲しがったのだろうと考えた。ぼくは男のところにまた歩み寄って、やっぱり早く医者に診てもらうようにと言った。
「わしゃあ、もうそんなに長いことはありませんのです」
男はそう言って顔をそむけた。
ぼくは炊事場で麦茶を飲み、ヘルメットの紐ひもをきつくしめ直してから、尻ポケットに突っ込んだ手紙を出して眺ながめた。宛あて先さきは鹿か児ご島しま県で、川村セツ様とボールペンで書かれた下手くそな字が読めた。差し出し人の住所は書いてなくて、ただ江見弘という名前だけがあった。ぼくは、男の本名を初めて知った。現場主任が、早く持ち場につけと大声でぼくに怒鳴っていた。ぼくは手紙を尻ポケットにしまい、大急ぎで交差点まで走った。その夜はぼくが交差点の真ん中に立つ日だった。最初の夜と違って、出入りするダンプの数も減り、ブルドーザーも一台だけが動いていた。古いアスファルトはすべて掘り返され、あとはその跡に新しいアスファルトを敷きつめるだけだった。仕事は順調に進んだ。いつもは風ひとつないのに、その夜は涼しい西風が吹いて、汗もそれほどかかずに済んだ。
夜中の二時過ぎだったと思う。遠くから救急車のサイレンが聞こえて来た。こんな場合は、東西へ行く車も、南北へ行く車もすべて停とめて、救急車を通すことになっていたから、ぼくたちアルバイト学生は一いっ斉せいに停車の合図を出し合った。救急車は交差点の真ん中に来ると、そこで停まった。飯場の入口から例の炊事婦が救急車に手を振り、伊藤と主任が、走って来た。
「まだ脈がおますのや」
と主任が救急隊員に言って、また飯場に走り戻もどって行った。救急隊員がタンカを降ろし、飯場に向かった。救急車が、まさかこの工事現場を目ざしてやって来たのだとは考えもしなかったので、それぞれの持ち場にいた学生たちは慌あわてて、ぼくの傍まで走り寄って、停めている車をどうしたらいいのかと話し合った。飯場にいるのは、炊事婦以外、あの江見という男だけだったから、きっと彼の身に何かが起こったに違いないと思い、ぼくは四人に病人が出たので救急車が来た、申し訳ないが救急車が出てしまうまでそのまま待ってもらいたい、それぞれの車の運転手にそう頼むしかあるまいと言った。四人は一斉に散って行き、車の窓から首を出して、どないなってんねんとか、早よ行かさんかいとか、不満の言葉を吐き出している運転手たちに、ひとりひとり説明して歩いた。タンカに乗せられた江見が救急車に運びこまれ、現場主任が一緒につきそって車に乗った。救急車はたちまち北のほうに去って行き、もとどおり、停滞していた車が動き出すと、ぼくは横に立っていた作業員に誘導灯を手渡し、すぐに帰って来るからと言って、飯場に向かって走って行った。飯場に駈かけ込むと、丸々と太った炊事婦が、放心したように、男の寝ていた場所を見つめて立ちつくしていた。ぼくは万年床の敷かれている部屋の電気をつけた。男の寝ていた蒲団のまわりは、血の海のようになり、その中に腐りかけたトマトが五つ転がっていた。
「どうしたん? なァ、あの人、どないしたん?」
ぼくは気味悪そうにあとずさりして行く炊事婦の肩をつかんで訊いた。
「判わからへん。おにぎりを作っとったら、呻うめき声が聞こえてん。電気をつけて奥をのぞいたら、潮噴くみたいに血ィ吐いとったんや」
畳の上一面にひろがっている血の中のトマトは、まるで男の口から噴き出たという多量の血の丸いかたまりのように見えた。あれはトマトなんだとぼくは自分に言い聞かせたが、それでも血のかたまり以外の何物にも見えなかった。ぼくはまた交差点の持ち場に帰り、作業員に礼を言って、自分の仕事に戻った。まだ脈がおますのやという現場主任の言葉を思い出し、きっと男は死ぬだろうと思った。もしかしたら、もう死んでしまったかも知れない。ぼくは通過して行く車を慣れた動作で誘導しながら、男が涙を隠して言った言葉を、思い起こした。男は、わしゃあ、もうそんなに長いことはありませんのですと言ったのだった。きっと自分の死期の極めて近いことを悟っていたのだろうとぼくは考えた。そのときうしろからぽんと肩を叩たたかれた。振り返ると伊藤が立っていた。
「ここは俺おれが立っとくから、飯場に行って、手伝うてやってくれへんか」
と伊藤は言った。血に塗まみれた蒲団を燃やし、何枚かの畳を起こして洗うのだという。炊事婦は気味悪がって、どうしても部屋の中に入ろうとはしない、だからお前と作業員の二、三人で蒲団を焼き、畳を起こしてホースで血を洗い流してくれと言うのだった。ぼくは命じられたとおり、飯場に向かおうとすると、伊藤はぽつんと言った。
「あいつ、病院に着いてからすぐに死によったでェ」
「……死んだんですか?」
伊藤は黙って頷くと、早く行けというふうに顎あごをしゃくった。ダンプが二台交差点に入って来て、最後の補修部分を敷きつめるための、湯気のあがっている新しいアスファルトを降ろし始めた。
ぼくとふたりの若い作業員は、蒲団に灯油をまくと火をつけた。それから畳をはがして飯場の前の空地に持ち出し、ホースとタワシを持って、かたまりかけて黒ずみ始めている大量の血ち糊のりを洗い流した。そうしているとき、救急車に乗り込んで病院へ行っていた主任が帰って来た。
「あしたの朝までに、仏さんを引き取ってくれっちゅうことや」
と誰に言うともなくつぶやきながら、男の寝ていた場所に行き、男の遺品を集め始めた。遺品といっても、小さな石せっ鹸けん箱ばこに入った簡単な裁縫道具、黄色く変色した数枚の下着、それに残高わずか八十六円の預金通帳と印鑑だけだった。主任はそれらを持つと、畳を洗っているぼくの横に立って、印鑑の文字に見入った。
「江川て名乗ってたけど、判こは江見になってるなァ」
主任は言って、舌打ちをした。
「仏さんを引き取っても、家族がどこにおるのやら、郷里はどこやら、さっぱり判らへんがな」
ぼくは、江見から手紙を預かっていることを言おうとしてホースを地面に置くと、ズボンの尻しりポケットに手を入れた。ぼくははっとして尻ポケットの中をさぐった。手紙はなかった。ぼくはズボンのあちこちのポケットをさぐり、シャツの胸についている小さなポケットまで手を差し入れた。ぼくはどこかで手紙を落としてしまったのだった。ぼくは自分の行き来した場所の周辺と、きょうの持ち場だった交差点のところとを必死で捜しまわったが、手紙はみつからなかった。飯場に全速力で走り戻り、炊事婦に、このあたりに手紙が落ちていなかったかと訊きいた。女は、知らないと答えて、いつにないひきしまった顔つきで、おにぎりを握りつづけていた。狼ろう狽ばいして、同じところを行ったり来たりしているぼくを見て、主任はどうしたのかと訊いてきた。ぼくは出かかった言葉を押し殺し、
「手紙を落としたんです」
と言った。江見の手紙と言おうとして、やめたのだった。
「手紙……? 大事な手紙かいな」
「ええ」
ぼくは泣き出しそうになっていた。川村セツ様というボールペンで書かれた下手くそな字が心に浮かんだ。ぼくはまた走り出し、交差点の、さっきまでぼくが立っていた場所に戻ると、ブルドーザーの運転手に怒鳴られながらも、地面に目を落として、うろちょろと駈け廻った。さっきまで、掘り返されて瓦が礫れきだらけだった幅広く浅い穴には、真新しい真っ黒なアスファルトがきれいに敷き詰められ、作業員がその上に水を撒まいていた。ぼくは慄りつ然ぜんたる思いで、その新しいアスファルトの道を見つめた。ぼくは、ここで手紙を落としたのだ。そうとしか考えられなかった。そして手紙は熱いアスファルトの下に永久に閉じ込められたのだ。きっとそうに違いない。ぼくは半分べそをかいたような声で、ブルドーザーの運転手に叫んだ。
「頼みます。このアスファルト、もう一回はがして下さい。この下に手紙が落ちてるんです」
運転手はブルドーザーのエンジンを切ると、ぽかんとぼくを見つめた。ぼくは運転台に駈け昇り、同じ言葉で哀願した。言っているうちに本当に涙が流れてきた。ブルドーザーの運転手は、伊藤と顔を見合わせていたが、やがて、
「お前はアホか。このアスファルトをもう一回はがせて言うんかい。七メートル四方あるんやぞォ。そんなもん、やり直すだけでお前の給料の百倍ぐらい飛んで行ってしまうぞォ」
「そやけど、大事な手紙を落としたんです。きっと、この下にあるんです」
ぼくは運転手の太く固い肩をつかんで、必死に頼んだ。
「おい、伊藤さん、こいつ、ちょっと頭がおかしいでェ」
運転手はぼくを片手で軽く振りほどくと、再びエンジンをかけて、もうぼくがどれだけ取りすがっても相手にしてくれなかった。
「なんや、どないしたんや」
騒ぎを聞きつけて、主任が肉にく饅まん頭じゅうのような体を揺らしてやって来た。伊藤がわけを説明した。ぼくはその間かん、小刻みに震えている体のあちこちを、手で撫なでさすりながら立っていた。主任は持っていた計算尺で、ぼくのヘルメットをこつんと叩いて言った。
「ほんまに、ここに落としたんか?」
「……はい」
「もうあきらめるんやなァ。アスファルトをはがしてくれなんて、そんな無茶なこと言うな。アホンダラ」
そして、伊藤に言った。
「江見弘いうのが、どうも本名みたいやなァ。預金通帳の名義がそうなっとった」
「何の病気でしたんや?」
伊藤が訊いた。
「食道の静脈が破裂したそうや。肝臓がとことん悪わるなると、最後はそういうふうになるらしい」
「肝臓が悪かったんでっか」
「末期の肝硬変で、どっちにしても、もうそない長いことなかったやろて医者が言うとったわ」
工事がすべて完了した朝、労務者やぼくたち学生アルバイトや、建築会社の作業員は、飯場に集まってビールで乾杯した。主任は約束どおり、よく働いてくれたからと言って、ぼくたちに十日分の給料以外に、それぞれ一万円ずつの祝しゅう儀ぎをつけてくれた。
「御苦労さん、もう帰ってええでェ。こっちはこの飯場を取りこわす仕事がまだ残ってるけどなァ」
主任はそう言って、紙コップの中のビールを飲み干すとさっさと事務所への階段を昇って行った。十日間、一緒に働いた学生たちは、一緒に伊丹駅まで出ようと誘ってくれたが、ぼくは万が一にも、どこかにあの手紙が落ちてはいないものかと、もう一度飯場の周辺の草むらや、きれいに舗装された十字路の隅すみを見て廻まわった。真夏の朝日が、烈はげしい疲れを宿したぼくの体に照りつけた。死期を知った江見弘は、最後の力をふりしぼって、川村セツという女に手紙を書いたのだ。ふたりが、どんな関係であったのか、ぼくには判らない。けれども、きっとあの下手くそな字で書かれた手紙には、ふたりにとってとても大切なことがしたためられてあったことだろう。ぼくは、何とか宛先の鹿児島県という字の次に書かれていたものを思い出そうと努めたが、まったく覚えていないのだった。また仮に覚えていたとしても、ぼくはその手紙のことを、どうやって川村セツという女性に説明したらいいだろう。ぼくは仲間たちが去ってしまってからも、長い間、工事現場のあちこちをほっつき歩いた。ぼくは地面と照りつける朝日を、何度も交互に見つめた。
大学を卒業してこの広告代理店に勤めるようになってからも、ぼくはどうかした瞬間、男がトマトを両手に握りしめて涙ぐんでいた姿を思い出してしまう。スポンサーと打ち合わせをしているとき、それは突然ぼくの心に膨れあがる。終電車の座席に腰かけて、酔った頭で窓ガラスに映る自分の顔を眺めていると、血の海の中に転がっていた腐った五つのトマトが、猛烈な勢いで目の前を走り過ぎる。すると決まって、鹿児島県、川村セツ様という文字が体の奥深くから亡霊のように、浮きあがってくるのだ。そんなとき、ぼくはまるでそれが自分の病気みたいに、あの男にとって、トマトはいったい何であったのか、手紙にはあの男にとってどんな大切なことが書かれてあったのかと考え込んでしまう。あの手紙は必ず、伊丹の昆こ陽やの、大きな交差点のアスファルトの下に、いまも埋まっていると、ぼくは確信している。トマトを見ると、あのときのことを思い出して哀かなしくなるというのではない。血のかたまりみたいだった腐った五つのトマトの映像が、ぼくを気味悪くさせるというわけでもない。けれども、ぼくはあれ以来、ただのひときれも、トマトを食べたことがない。